和洋菓子パッケージを安定して届け続けて120年
玉谷共栄堂の歴史をご紹介
創業は、明治三十五年五月一日。徳島から上京した、初代・玉谷虎三郎は、東京市淺草區蔵前南元町十三番地に店を構えて、和菓子の折箱に掛ける木版手摺り印刷掛紙の製造販売を始めました。「共榮堂 玉谷寅三郎商店」が弊社の前身になります。大正に入ると、大蔵省の造幣局で使われていた印刷機を払い受けて、手摺りからいち早く印刷機による木版印刷に変えて、大量に手懸けていきます。東京都台東区寿の地に本社を移したのが、昭和三十三年八月一日。株式会社玉谷共栄堂と社名を変更、再出発して、徐々に全国へと販路を拡大しました。
以来、おかげさまで120年。たくさんのお客さまに支えられて今日があります。現在では、サービス箱・進物箱・掛紙・のし紙・菓子個包装袋などの、和菓子・ケーキ用パッケージを広く扱う専門メーカーとして営業いたしております。弊社では、創業以来一貫して品質管理・在庫管理には、とりわけ注意を払ってまいりました。これからも変わらず「安心の品質」「豊富な在庫」を第一に考えた、安定した製品をご提供してまいります。また、時代のニーズに応える良い製品を作り続けたいと思っておりますので、今後とも、なにとぞよろしくお願いいたします。
創業者玉谷 虎三郎
明治5年~昭和13年
(1872~1938)
二代目社長玉谷 一郎
明治43年~昭和54年
(1910~1979)
三代目社長・現会長
玉谷 博史
昭和7年~ (1932~ )
代表取締役
玉谷 和博
玉谷共栄堂のホームページにお越しいただきありがとうございます。
おかげさまをもちまして弊社も創業120年になります。
これもひとえに皆様のごひいきの賜物と、心より厚くお礼申し上げます。
私どもは、移りゆく時代の流れの中で、常にその折々のニーズに応える良い製品を
作っていきたいと存じます。
どうぞお気軽にご相談ください。
HISTORY 古いアルバムから
創業時の本社
昭和3年頃、蔵前本社。
江戸通りに路面電車の軌道が走る。
昔の営業車
営業に使われていたオート三輪。
当時は高価で珍しかったらしい。
古い納品伝票など
「東京市浅草区蔵前南元町~ペーパー掛紙問屋共栄堂 玉谷虎三郎商店」と読める
昔の集金袋
当時、お得意様に配ったものと思われる集金袋。現在でいうノベルティーグッズかも。右図は裏側。東京市浅草区蔵前二丁目八、とある。